独り言至極

2021年4月26日 (月)

反対派の依拠するところは

1993年、非自民連立政権ができました。時の宰相細川氏は、個別の判断を仰がれると「自民党はどうやっていましたか」と役人に尋ね、答えを聞いた後「では、それじゃない方で」と決めていたと、政治評論家が書いているのを読んだことがあります。

当時、非自民の細川政権は熱狂的に歓迎され、「自民政権にできなかったこと」を実現するのではないかと期待されたわけですが、冷静になってみると「前政権がやったことをやらないだけ」だったともいえます。

「新しい提案」をしているように見えて、その実「それまでの価値観をやらないだけ」というのはよくあることです。新しくないどころか「それ以前の価値観」に依拠したうえでそれを否定しているだけだから、独自性のかけらもありません。

「それまでの価値観」は「社会の多数派のルール」や、現代社会では「校則」「法律」などにも置き換えられます。

例えば、制服の丈や裏地まで校則で決められていると、極端に長かったり、短かったり、裏地に竜の刺繍が入った物を着たがったりします。「校則なんてクソ食らえ」と言いつつ「校則に書いてあること」をきっちりと理解し「その価値観通りにやらない」というのは「校則というルールを守らないルール」に基づいて行動しているだけともいえます。その証拠に「ルールを守らないルール」に基づいて行動する人たちは、驚くほど似た服装、髪型、持ち物で統一されています。逆に、めちゃめちゃ保守的で、「自分たちルール」は厳しく守ります。

昨今、「中学校に行かない」と宣言したYoutuberが話題になっています。私はこの人の動画を一切見たことがありませんが「中学校に行かなくても勉強はできる」との主張に、新鮮味は全くありません。「行くべきだ」という説得を一つずつ否定していく場合、ただ「じゃない方」を例示すればよいだけだから、自分の価値観を持っていなくても、何だか論理的に社会を批判してるかのように思わせることは可能です。

私は冗談で「市側が出した議案を否定するだけの役目の市議だったら、今すぐにでも演じることができる」と言ったことがあります。ラクですよ〜、価値観は市側が提示してくれるので、自ら何かを提案する必要もなく、自分の知識の中で「じゃない方」を例示するだけでよいのですから。

くだんの中学生Youtuberの話に戻ると。過去、子役俳優だった芸能人って、まともに学校に通っていない人も多いんじゃないでしょうか。Youtuberが「新しい形のゲイノージン」なのだとしたら、どうぞ、ご自由に。子役俳優出身で、立派な大人になった人もいれば、転落人生で犯罪の手を染めた人がいるのも、周知の通りです。

個人的には「学校に行く」ことで得られることと「学校に行かない」ことで失うことを天秤に掛ければ、まあ、分かるでしょ、ってな感じかな。

| | コメント (0)

2021年3月11日 (木)

芸能人の「商品価値」を実際の商品に例えて考えてみた

人を物に例える「商品価値」。この言葉について、ラジオのフリートーク風に喋ってみました。

芸能人の「商品価値」を実際の商品に例えて考えてみた動画はこちら

001_20210311141001

以下、文字起こしというか、粗原稿です。原稿用紙6枚程度、2,500字ぐらいあります。お暇な方はどうぞ。

-----------------------

 

続きを読む "芸能人の「商品価値」を実際の商品に例えて考えてみた"

| | コメント (0)

2021年3月 7日 (日)

最近のコンビニに物申したい

仕事帰りとかによくコンビニに行くんだけど、レジに行くと「買い物袋はお持ちですか」って聞かれます。

レジの人が知りたいのは、レジ袋を買うか買わないかであって「買い物袋をお持ちですか」って、客が持っている、客の所有物に関して、尋ねてくるのはプライバシーの侵害だと思います。

001_20210308001601

ラジオオープニング風のコンビニツッコミ動画はこちら

これは初対面の人に「恋人はいらっしゃいますか」と聞くぐらいぐらい変ですよ。

「買い物袋はお持ちですか」という「Yes or No」でしか答えられない質問をしておいて「Yes」だと自動的にレジ袋を売りつけるのは、ちょっとおかしい。

もし車のディーラーに行って「お車はお持ちですか」と尋ねられて、もし「いいえ」と答えたら、いきなり車を売りつけられるぐらい変なことです。

「買い物袋はお持ちですか」には「いいえ」だけれど「レジ袋は買わない」というのを併せて意思表示したい。だけど「買い物袋はお持ちですか」の質問がくると、その質問の答えによって「レジ袋を買うか買わないか」が決定される。そんな尋ね方は変です。

では、どう尋ねるのが良いのか。

「有料のレジ袋はご入り用ですか」とか「レジ袋は購入されますか」と聞くのが正解なんでしょう。なんだろうけど「有料の」と「新たに購入」という金銭が発生する言葉を言いたくないんでしょうね。

だから、そんなコンビニはハンバーガーショップのマニュアルみたいに「セットでレジ袋はいかがですか」とか、おまけで言ってますよ感を出すようにすればいいんじゃないかと思います。「ご一緒にポテトはいかがですか」的に「レジ袋はいかがですか」と。これなら「Yes or No」で済みますし、お互い後腐れがありません。

あとね、買い物した後のレシート。私はコンビニでもクレジットカードで買いものするんですけど、ここでも必ず質問されます。「レシートはご利用になりますか」と。これも変です。

ご利用? ご利用って何よ。

そもそも、クレジットカードで買いものしたら、その明細を出すまでがセットでしょう。通販で買い物したら「発送しますか」と尋ねてこないと同じ。発送までがセットですよ。

それと、気になるのは「ご利用」って単語。私はレシートを見たいけれど、レシートを何かに利用するわけではないのです。そんな時は「レシートは利用はしませんけれど、今の明細は見てみたいです」ってお願いしないといけなくなります。煩わしい。

仮に、仮にですよ、私がレシートを利用することがあるとします。でも、買い物した後にレシートを利用するかしないか、それを尋ねるのは、やはり、プライバシーの侵害です。買い物とセットで受け取ったレシートをその後、利用しようがしまいが、土足で踏み込まないでほしい。

そもそも、コンビニのビジネスモデルって終わりに掛かってきているんじゃないかと思うんです。

こういうムダな質問と答えを強いられているのに、人と人が対面して会話している意味がない。昔は、レジ横の肉まんは温かくて、商品の補充などの仕事もあったでしょうけど、今、レジ横にある焼き鳥とか、冷たいですよ。レンジでチンするだけです。

それだったら、田舎の国道にある自販機コーナーみたいに、無人にして、客がそれぞれ好きな物を取って、セルフレジで精算したらいいんじゃないでしょうか。そんなことを思っています。

| | コメント (0)

2020年8月16日 (日)

平成の終わり

石原裕次郎…昭和62(1987)年7月17日没
手塚治虫…平成元(1989)年2月9日没
美空ひばり…平成元(1989)年6月24日没
渥美清…平成8(1996)年8月4日没

裕次郎さんが亡くなった時、まだ、昭和はいつまでも続くような気がしていました。大学に入ったばかりのころ。建物の屋上に上がると、意味もなく下に向かって手を振り、裕次郎さんの真似をしたものでした。

手塚さん、ひばりさんが亡くなった時は、元号が平成になったばかりの年でもあり「昭和が終わった」感を強く抱きました。

渥美さんが亡くなった時、既に社会人になっていました。急遽、翌日の夕刊芸能面を追悼紙面に変更することになり、いったん作っていた紙面を、夜までやりかえていたことが印象深く残っています。

裕次郎さんの訃報から渥美さんまで9年間が空いていますが、今の私の記憶の中では割と近いころの出来事みたいに思えて、全てが「昭和が終わった」記憶の一つです。

恐らく、志村けんさん、渡哲也さんのことは「平成が終わった」記憶として、私の中に刻まれていくことでしょう。

| | コメント (0)

2020年5月 9日 (土)

小説「タイムマシーン」

「ようやく完成したか」

N博士は満足そうに汗を拭った。電話ボックスタイプのタイムマシーン。年月日を入力すれば、過去にも未来にも行くことができる。

ただ、まだ第一号機。精度が高くないため、行ける範囲は未来と過去いずれも6ヶ月以内だ。今日は2019年12月6日。未来に行くとしたら、ゴールデンウイークがギリギリ。N博士は思案の結果、フラワーフェスティバル開幕の2020年5月3日に行き先を決めた。

ボックスに入り「2020.05.03」と行き先を入力する。時空を越える間、静かに待つ。「ボンッ」という音とともに到着した。

N博士はボックスを出て、窓の外を見渡した。いつもと変わらぬ風景だ。そりゃそうだろう。半年程度で世の中が一変するなんてこと、あるわけがない。

電車に乗り、平和公園に向かう。乗客が少ないのは遠出している人が多いからか。乗客のほとんどがマスクをしているのは風邪でも流行しているのだろうか。それよりなにより、みんなが私のことをちらちら見ている気がする。過去から来たことがバレてしまったのだろうか。まるで、マスクをしていないことが「空気読めないやつ」みたいに思える。マスクなんてものは気休めだよ、やりたいやつだけやればいい…

平和公園に着いて、驚いた。フラワーフェスティバルの会場がない。いつもの平和公園だ。いや、いつもより、人通りが極端に少ない。ひょっとして、未来の行く先を間違えたのかもしれない。

N博士は馴染みの小料理店に向かった。女将さんと会い、それとなく今日の日付を聞き出して、タイムマシーンの実験が成功したのか聞き出すことにしたのだ。

ところが、小料理店に着くと「5月6日まで臨時休業します」の貼り紙。それではと、ほかの店をいくつか回ってみたが、どこも判で押したように「5月6日まで休業」の貼り紙ばかりだ。何がなんだか分からない。飲食店にゴールデンウイークを与えよう運動でも始まったようだ。

N博士はバスと電車を乗り継ぎ、自宅へ戻った。途中、隣でせき込む男性がいたが、やはり風邪が流行しているのかもしれない。たかが風邪程度なのに、周囲の乗客の目がやけに冷たかったのはなぜだろう。

自宅に着き、テレビをつけると「市民が見たコロナショック〜4月編」という番組をやっている。コロナショック? なんだそれは。そのコロナというやつが、飲食店を臨時休業させていたのか。

番組を見て恐ろしくなったN博士はすぐにボックスに入り、行き先「2019.12.06」を入力した。一刻も早く、一刻も早く、現代に戻りたい。

時間旅行を終え、落ち着いたN博士はふと考えた。

コロナショックとやらが始まる前の今、何かできることはないか。マスクと消毒液を買い占めようか。いや、それは科学者のやるべきことではない。それでは、そのウイルスの特効薬を作ろうか。いやいや、どんなウイルスかも分からないのに、特効薬なんて作れるわけがない。自分も科学者の端くれ、何か後世に名を残すことをやり遂げたい。

いや、やはり過去を変えるべきではないいな。何も知らなかったことにしよう。

考えごとをし過ぎたせいか、ちょっと体が熱っぽい。そういえば、さっき食べた食事も味がしなかったなあ。あすにでもかかりつけ医に行くこととしよう。

…後年、N博士は、自分が世界中に名を知られることになるとは、知る由もなかった。名声ではなく「新型ウイルスを最初に作った科学者」として。

過去は変えられた。

-------------

久しぶりに「ショートショートまがい」の投稿です。妄想癖は相変わらずなので、ぼちぼち書いたりはしていたのですが、ブログの更新を怠っていました。

未来でこれを読んだ私のために書いておきますと、2020年5月9日現在、日本には「非常事態宣言」が出されています。外出自粛、店舗営業自粛、3密を避ける、もう、経済活動の全てが止まるのではないかというクライシス。

私のこの妄想ショートショートを笑い飛ばせる日が来ているのか、それとも、この非常事態宣言はまだまだ、この後に続く悲劇の序章だったのか。

今の私に知る由はありませんが、明るい未来を空想することとします。

| | コメント (0)

2019年8月27日 (火)

なぜ煽り運転が増えたのか

皆さん、こんにちは。プジョーを手放して以来の久しぶりのガイシャに乗ってちょっと浮かれている、かげさんです。

私自身、カッとなる性格ではあるのですが、車を運転しているとき、不思議と、煽り運転をしようという気にはならないし、もちろんやりません。根底には「自分の周囲の車は自分より運転が下手(である可能性が高い)」という思いがあるからかもしれません。

幅寄せする人は、相手が路肩へ避けていくことを期待しているからできるのであり、もし相手が下手な運転手なら、接触して自分の車も傷ついてしまう。相手の前に無理矢理割り込んで急ブレーキを掛ける行為も、相手がきっちり反応して停まってくれるという全幅の信頼がなければできない行為です。

周囲の迷惑を考えない傍若無人な行為に見える煽り運転ですが、その実、相手を信頼していないとできない行為といえます。なんて、ピュアな人たちなんだ。

つまり、煽り運転する人が増えている一因として「現代日本人はピュアな人が増えた」といえるかもしれません。ピュアを日本語で表現するなら、純真無垢、無邪気、脳天気な阿呆…とでも訳しておきましょう。

そんなピュアな煽り人は、逮捕されたとき必ずこう言います。「相手が先に煽った(邪魔した)」と。つまり、煽り側から見た場合、煽られた「被害者」の側にも非があるわけです。世間一般では「煽り行為」をすることは許されないわけですから、被害者側の行為が表に出て咎められるケースはほとんどないのですが、被害者の正義感、無邪気さが、煽り行為発生の遠因になっている可能性はあります。

そんな正義感を、自分の中でさらに強く正当化できる風潮として、次の2題が挙げられます。

・エコ運転で燃費を向上させるのは正義である(エコ至上主義)
・速度違反をしないことは正義である(法定速度遵守主義)

まず、エコ運転。猫も杓子も「燃費、燃費」の大合唱のこの時代。そんなにエコがこの世で一番大切なら、
そもそも車になんか乗らなければよいではないかと、私なぞは思ってしまうのですが、現代日本で「エコ」は全てを駆逐する勢いがあります。

この「エコ至上主義」を補完する車の機能として、クルーズコントロールがあります。コンピュータ任せで速度を一定に保つと燃費が向上し、アクセルを踏む必要がない。国産車の場合、80km/h程度の走行が一番燃費が良いらしい。ここで、二つめの正義とリンクします。

速度違反をしないことは正義である。

エコ至上主義と、法定速度遵守主義には本来、罪はありませんが、この二つが合わさると、こんな行為をする人が増えてきます。それは、

クルーズコントロールを使い、追越車線を80km/hで流す人。

運悪く、走行車線にも同様の運転をしている車がいる場面にだと、延々、80km/hで蓋をされたまま、付き合わされることになります。

これ、実際に出合ったとき、どう感じるか。後ろについたとき、前の運転手の年齢も性別も、どういう機能付きの車かも分かりません。なのに、カーブであろうが、上り坂だろうが下り坂だろうが、速度は一定。かなりのアクセルワークの持ち主です。クルーズコントロールを使っていなければ。

後ろについたピュアなドライバーはこう思います。「これだけのドライビング技術があるのに、前をふさいでいるのは、嫌がらせに違いない」と。

蓋をしている側のドライバーは正義。エコな運転で法定速度を守っているのだから。

後ろについたドライバーはピュア。後ろの車に道を空けるのは当然と思っている。案外、自分が後ろから煽られたら、あっさりと道を空ける善人だったりして。

・正義から見たピュア→後ろから迫る恐怖
・ピュアから見た正義→行く手を阻む憎き存在

ピュア側にはさらに「前の車は追越車線を走り続けている通行帯違反だ」と、相手を注意する動機があります。そこで「前に出て、違反行為を注意してやる」という正義感が生まれると。ピュア正義vs正義正義の対決です。

世の中、実は案外「ピュアvs正義」の闘いは、あらゆるところで繰り広げられていると思います。最終的には多数派を形成した方が勝ち。私の人生、ピュア側になったり、正義側になったりしながら、何度も煮え湯を飲まされてきましたからねえ。おかげで最近、焼酎は水でも湯でも割らず、そのまま「生(き)」でいただくことが増えました(←それはまた、別のお話)。

今回、煽り運転で逮捕された容疑者は、一般人の理解を越える人物だったのでしょう。現在「煽り運転罰則化」の流れになっているようです。ただ、私は個人的に「通行帯違反の厳正取り締まり」の方が、交通トラブルの減少に役立つのではないかと思っています。

ピュアな人が怒り出す場面を減らすような、優しい社会。でもねえ、こういう場合、正義側の人は頑なですからねえ。「エコvs燃費より歓び」「速度遵守vs速いの楽しい」の議論をしても、正義側のロジックの方が分かりやすい。

さて、と。

白いドイツ車を手に入れたことだし。次は、大きめのサングラスと、ガラケーを持つオンナと、右ストレートパンチを手に入れてきます。嘘です。

私、こう見えて(どう見えてるんだか)、かなりの安全運転主義者なんですよ。

| | コメント (0)

2019年5月14日 (火)

もしもビートたけしがブンヤだったら

もしも、ビートたけしがブンヤだったら。

おいらたちの業界でさ、「子どもの憧れの職業がユーチューバーだなんて、世も末だ」なんて批判記事を書く同業者がいるんだけども。バカじゃないのって思うんだよね。そもそも、おいらたちの仕事は「ユーチューバー側」なんだから。

...

おいらたちが記事を書いていられるのもさ、食べるものを作ってくれてる農家がいて、パソコンなんかの道具を作ってくれる工業の人がいて。そういう「生きること」の土台を支えている人たちがいるから、政治がどうした、経済がどうしたって書いてられるわけ。

おいらたちは、人間が生きる基本には何の貢献もしてないんだよ。「知的好奇心を満たす」ってことを目標にしているだけでさ。ここでいう「知的」ってのは「知的かバカか」って意味じゃなくて。人が「知りたい」って思う欲求のこと。これを満たすのは新聞も、雑誌も、ユーチューブも何にも変わらない。

おいらの仕事は「世の中で起きたことを調べて文章にしてみた」ってだけでさ。アウトプットの表現方法が文章か、映像かっての違いだけで。ユーチューバーより自分たちの方が偉いんだって勘違いしてるんだったら、そんな同業者に取材先に寄り添う記事なんて書けるわけないっつーの。

漫才師より落語家が偉い。アイドル歌手よりオペラ歌手が偉い。eスポーツより囲碁将棋のプロ棋士が偉い。商業イラストレーターより日本画家の方が偉い。そんな凝り固まった頭で、新しいものなんか生み出せるわけないんで。

高尚か低俗かなんてのは、後世の人たちが決めるんでさ。落語だって、将棋だって、昔は庶民の娯楽だったんだよ。おいらが若いころ漫才ブームってのがあって漫才師の地位が向上したんだけども、今でも寄席のメインは落語で、漫才や曲芸は「色物」って呼ばれてるからね。

「最近の若いやつは新聞を読まない」って批評する同業者には「最近の年寄りはユーチューブを見ない」って返してやるよ。誰だって自分の知的好奇心を満たすために、大切な自分の時間を使ってるんでさ。若いやつは、米中経済関係のことより、コーラにメントス入れたらどうなるかっていう動画に知的好奇心を抱くんだよ。だったら、おいらたちもそういう人たちに喜ばれるようなものを書いてやろうぜっていう話でさ。

案外、おいらがこうやって文章を書いている横にビデオカメラを置いて垂れ流ししたら、どういう風に文章を組み立てるのかとか、文章を書きながらどんな飲み物を飲んでるんだろうかとか、どういう風に悩んでるんだろうかとか、興味を持って見てくれる人もいたりしてね。

でも、残念なことに、おいらの頭の中は撮影できないんだよね。これだけはおいらにも見られない。すべてを映像化するって点では、ユーチューバーの完勝だね、じゃんじゃん!

| | コメント (0)

2019年3月19日 (火)

ハザードランプの意味

きょうバイパスを走ってたら、自動車学校の教習車が支線からやってきました。意地悪ではないので、当然、入れてあげます。

前に入ったその教習車、ハザードランプを点灯させました。今は定番となった「ありがとう」サイン。

これ、私が免許を取った30年前にはなかった風習で、やり始める人が出たときも「ハザードは本来の使い方以外で使うべきではない」と意見する人もいました。新聞で特集記事が出たり。

仮免許の人がこれをやったということは、現在では教習所でも教えてるってことかしら。

あらためて、交通法規を読み直そうかなあ。「黄は止まれ」は昔から共通ですが(←まだ言ってる

| | コメント (0)

2019年3月18日 (月)

知の知


免許更新の講習時のこと。

教官が「黄信号の意味を知っていますか」と年配男性に尋ねました。

男性は「注意して…進めです」と答えます。教官は少し、口元に笑みを浮かべます。

私と目が合いました。「そこのあなたは分かりますか」

私は静かにこう答えました。「止まれ」

会場中の講習者が「は? 何言うてるんじゃ、このあんちゃん!」の目線をくれます。

教官は「正解です」と答えます。それでも、会場中の冷たい目線は消えることがありません。



多数派が知らないことを知っているとは、こういうことです。本当のことを知っているだけで、辛い目に遭います。そのうち、慣れます。

| | コメント (0)

2019年2月16日 (土)

歳をとるということ

歳を重ねると、記憶力が悪くなるし、老眼も進み、ものが見えにくくなりました。

それを補うために、どんな努力をすべきなのか。



見えないものを見えるように努力をしようにも、やりようがない。ってことは、悪くなった記憶力なんだけど、覚えてしまえば、見えないものを無理に見る必要がなくなる。

…ってことで。

覚えるぞーと決めた曲は、若いころより何倍も聴くし、本番で記憶を引き出す手間を考えたら、体が覚えるまで反復練習するのが早い。

そんなこんながありーの、練習好きになりましたとさ。







| | コメント (0)

より以前の記事一覧