« ストラップ壊れた | トップページ | 九州ラーメン紀行 »

2015年10月30日 (金)

おレイばっちゃん

小学校に入るまで、母の実家のすぐ前にある公民館に住んでいた。正確にいうと、公民館と同じ建物の一角の民家スペース。一応、台所や居間、そして和室があった。公民館の管理は、母の実家がしていたが、扉一枚で公民館なので、特に誰に断るわけでもなく、勝手に入って遊んでいた。

その隣が、祖父の弟夫妻の家。つまり、「祖父母+叔父夫婦」「大叔父大叔母」「うちの一家」がほぼ隣接していたってこと。私は実の祖父母ともよく遊んでいたし、大叔父大叔母にもかわいがってもらった。私にとっては祖父母が2人いるようなもので、どちらの家にも上がり込んでいたっけ。

私が小学校に上がるとき、父が現在の家を建てたため引っ越した。その直後、大叔父が亡くなった。茶碗蒸しのフタにたこ糸を巻き、有田ならではのヨーヨー遊びを教えてくれた。

あれから40年。大叔父の奥さんのことを「おレイばっちゃん」と呼んでいた。正月に帰省して母の実家に行ったときには、必ずおばっちゃんの家にも行った。ごちそうがあれば遠慮なくいただいた。母の実家も、おばっちゃんの家も、公民館も、私にとってはひっくるめて「自分と身内の家」だった。

20年ほど前になるかな、おばっちゃんが独り暮らしだったころ、「寝る前に、もし翌朝、目が覚めないことがあって、散らかっていたら恥ずかしいから、毎日脱いだ物をきちんと畳む」という話を聞いた。そがんこと言わんでよか~、長生きしんしゃいって笑ったっけ。

今週末、観戦を予定していた日本シリーズが早めに終わってしまったため、それなら有田に帰省しようかと自宅に電話をしたのが31日夜。そのとき、「きのう(30日)、オレイばっちゃんの亡くならしたよ」と聞いた。葬儀は1日朝。今から行けば間に合う。そう思い、車で夜通し走って帰った。

ホークスが早く優勝を決めたのも、おいがおレイばっちゃんにお別れば言えるよう、野球の神様が気を使わしたとかもね。

お礼ば言わんばやった。おレイばっちゃん、ありがとう。98歳。

|

« ストラップ壊れた | トップページ | 九州ラーメン紀行 »

日々の日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1124357/62453318

この記事へのトラックバック一覧です: おレイばっちゃん:

« ストラップ壊れた | トップページ | 九州ラーメン紀行 »