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2015年4月28日 (火)

走ること

「走ること」には、大いなる恐れを抱いている。

父は80歳を超えた今も現役のランナー。「唯一の趣味は走ること」と公言している。父にとって、息子の足が速くないことは耐えがたいことだったようで、小学生のころから、いつもロードを一緒に走らされていた。走ることは楽しみではなく、義務だった。

ある日のこと。一緒に出掛けた卸団地。父はぐるりと団地の中を回ってくるという。その間、私は先にある公園までの直線を往復してくるよう言われた。「負けないようにガンバレ」と声を掛けられ、必死で走った。父は私より先に、元の場所に戻っていた。

「もう一度やろう」。父に言われ、私はさらに必死に走った。今度は父が戻る前に、着いた。やった!褒めてもらえると思った私の耳に入ってきた言葉は予想外だった。

「ズルをしただろう。どこで引き返してきた?」

何度も問い詰められた。少年は号泣した。速く走っても、遅く走っても、必死に走っても、手を抜いても、怒られるのは同じ。悲しかった。

中学に上がり、中2から中3のころ、1500m走のタイムは5分~5分30秒ぐらい。陸上部の友人は4分台で走っていたから、特段速い部類ではなかったが、遅い方でもなかった。私の町では毎年1月、新年走ろう会というイベントがあり、最長は20km。同級生の仲間と盛り上がり、一緒にエントリーすることになった。

一家団らんの時、この話をすると、父から「毎日走る練習をしていない人が出ても何の意味もない。やめなさい」と言われた。父にとって、走ることは真剣勝負だった。遊び半分で走ることは、神聖な場の冒涜だ。結局、20kmを友だちと一緒に走りきったが、その話はしなかった。

社会人になり、自転車に乗ったり、ジョギングをしたりしている(現在、休止中)。実家に帰っても、走ることの話はしない。仕事の合間を縫って週3や週4で10kmずつ走るのは自分にとっては大変なことだけれど、1年365日走ることが当然の人にとって、意味のないことだと言われそうだしね。

「走ること」は苦行だ。一方で、楽しいということも知っている。走りたい、だから、走りたくない。陸上部でもなかった私なのに「走ること」は重い。できることなら、駅伝をテーマにした小説には出合いたくなかった。

三浦しをん著「風が強く吹いている」を読み始めた。きっと、面白いんだろうなあ。

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