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2014年8月29日 (金)

広島に生きる

8月20日に広島で土砂災害が起きて以降、新聞、テレビは全国ニュースとして取り上げている。どうにも、この「全国ニュース」の取り上げ方が、紋切り型というか、地元在住者を切り捨てているように見え、違和感が拭えない。


たとえば、今夜のニュース番組。被災者にインタビューをし「もう、こんなところには住みたくない」「どこかに移りたいけれど、家が壊れていないので、住まざるを得ない」というコメントだけを流していた。ここに住みたくないという人しか、本当にいなかったのかしら。

水害があった当日の公共放送は、昭和40年代以降に急激に人口が増えた広島市は、宅地に適さない谷筋に住宅を作った、と朝から晩まで繰り返し、暗に「自業自得の人災」であるように報じ続けた。

「住みたくない」と言った人がいたことは事実だろうし、谷筋ではないところを宅地開発した方がよかったかもしれないというのも事実だろう。けれど、物事を一方からしか見ないのは、真実とは違う。

「こんなところに住みたくない」というコメントだけを使い、記事を構築するのは簡単だ。先日、私が住む市について、ある全国紙が「バスの乗車率が低く、人口も減っている。こんなところには住みたくない」という市民の声を紹介し、市全体が地盤沈下しているような記事を書いた。

確かに、取り上げたバス路線の乗車率は低空飛行が続く。けれどこの市には、まず幹線バスがあり、そこから支線が伸びている。幹線バスの乗車率は、当初目標を上回り、住民の足として定着している。全国紙が取り上げたのは、支線の中で最も苦戦している一部なのだけど、そのことには触れていない。まるで、それがすべてであるかのように論じる。

東日本大震災で、岩手を訪れたときにも同じような話を聞いた。三陸鉄道が全線復旧したのは今春の話だけれど、それより2年以上前、ごくごく一部の路線が開通しただけで、全国紙が「鉄道復旧」と書いた。「復旧はこれから」と思っていた住民は、落胆したという。

もちろん、記者の仕事というのは、聞いたことをすべて字にすることではない。「どの部分がニュースか」を切り取り、記事にする。だからといって、どこを切り取るのも自由ではない。象徴的な部分をいかに取り上げるかが大切だと思う。

東北の同業者の仲間は言った。全国紙は書き逃げして東京に戻ることができる。自分たちはこの地で、被災者とともにずっと暮らし続ける。その視点を忘れないでいたい、と。

今、自分に何ができるか、何をなすべきか。考えながら行動しなければと、思いを新たにしたのであった。

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