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2012年8月 6日 (月)

祈りの日

ヒロシマ、8・6の日。午前4時台起床、5時台出社。バスの始発前なので、駅まで妻に送ってもらう。

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会社に着いてナポリタンを食べる。「ナポリ(Napoli)」が形容詞形になると、なぜナポリアン(Napolian)ではなくナポリタン(Napolitan)になるのだろう。この「t」の意味が分かる人、教えてください。

仕事は夕刊一面。この日は広島市長の平和宣言が一面トップ。慰霊の日と、祭典である五輪の共存は紙面的に難しい。一面の五輪本記は控えめに、五輪は中面でしっかり展開してもらう。

夕刊の面担に入るのは何年ぶりだったろう。しかも8・6の日。ひょっとしたら、この日に夕刊、朝刊の一面を担当したのは初めてかもしれない。

明日組の紙面の前整理を終えた後、明るいうちに退社。冷めん家さんに寄り道。帰宅後、子どもたちより早く就寝。

深夜、むっくり起きて。五輪サッカー女子の準決勝をテレビ観戦。

今回の大会では「44年ぶり」「28年ぶり」というフレーズがよく出てくる。44年前(1968年)メキシコ五輪は私が生まれる直前、28年前(1984年)ロス五輪は私の記憶の中にある最古の五輪。若い人からすると「28年前が最古って、15歳からの記憶しかないのかい?」と不思議に思うかもしれない。その前のモスクワ五輪(1980年)の選手選考過程(宗兄弟がマラソン初の兄弟代表に内定など)はよく覚えているけど、日本は大会に出ていないからねえ。

さらに4年前、モントリオール(1976年)となると7歳。そのころ、スポーツ競技に熱中していたような記憶はない。わが家にカラーテレビはあったのだろうか(笑) カラーテレビが世の中に普及してからも、わが家(実家)はモノクロの時代が長かった。エアコン(クーラー)は大学で家を出るまでなかったし、洗濯機は今も二槽式。当時、うちは相当に貧乏なのではないかと思っていた。

そんな44年前のメキシコ五輪。釜本選手らがいた日本サッカーが銅メダルを獲得したのは、私にとっては歴史上の出来事。歴史が今、現実の記憶に塗り替えられる。女子は決勝進出、男子は明日(日付は明後日)準決勝。

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